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スタッフブログ 買取日記

2020/07/28

哲学、心理学、教育学等の書籍の買取

今回は哲学や心理学、教育学等の書籍を中心に買取をさせていただきました。
以下に特に良いお値段をお付けできた本をご紹介します。

「人間性の価値を求めて―マックス・シェーラーの倫理思想」
「ローティ論集: 「紫の言葉たち」/今問われるアメリカの知性」
「ガダマー入門―語りかける伝統とは何か」
「教師の文章」
「ライフサイクルの哲学」
「自然主義入門: 知識・道徳・人間本性をめぐる現代哲学ツアー」
「哲学がわかる 形而上学 (A VERY SHORT INTRODUCTION)」
「問い続ける教師―教育の哲学×教師の哲学」
「教育と授業――宇佐美寛・野口芳宏往復討論」
「議論を逃げるな――教育とは日本語――」
「社会は笑う・増補版: ボケとツッコミの人間関係 (青弓社ライブラリー)」
「オープンダイアローグとは何か」
「Art as Experience」
などなど。

冒頭に教育学等という表現をさせていただきましたが、言語を通じたコミュニケーション論に内容は近い感じがしました。そういった意味では言語学の本も含まれていたといっても良いかも知れません。

また、↑のリストにはありませんが、ウンベルト・エーコの「完全言語の探求」も気になりました。以前、エーコの「プラハの墓地」を当ブログの過去記事 にて紹介させていただいたこともありますが、言語自体に興味のあるワタクシ、こちらも是非読んでみたい一冊です。

が、今回ご紹介させていただきたい一冊はこちら。
「社会は笑う・増補版: ボケとツッコミの人間関係 (青弓社ライブラリー)」(2013年)

です。

突然ですが、みなさんは笑いはお好きでしょうか?

私自身は、テレビ等メディアを通じて供されるエンターテインメントとしての笑いの潮流には全くついていっていませんが(哀)、ユーモアとかアイロニーとかいった一種笑いのエッセンスは忘れない大人でありたいと思っております(ドヤ)。

もしかすると、私はどちらかというと人が面白くて笑う、その仕組自体に興味があるのかも知れません。例えば、細馬宏道氏の書かれたお笑いに関する論文「漫才、コントにおけるツッコミ役のパフォーマティヴな気づき」が紹介された某テレビ番組などはお笑い分析として非常に興味深かったですが、同じような目線で漫才を見てしまう方、一緒に美味しいお酒が呑みたいものです。

さて、いつものように脱線したところで、話を元に戻します。

まず、著者の太田省一さんの略歴を見てみます。

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著者:太田省一

テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)。最新刊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)。

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言葉は悪いですが、やや俗っぽい感じは否めません。しかし、笑いの根っこと俗は切っても切り離せないものな気がしませんか?心理学でいうところの「攻撃的な笑い」なんて、その最たるものだと思います。俗的なものを中心的に描写している著者が「笑い」を扱うことについては、かなり納得しました。

また、本書裏表紙に「笑いを媒介したコミュニケーション」という文言があるのですが、コミュニケーションが最終的に論じたいターゲットなら、俗っぽくならざるを得ないよな、とも思います。

さて、本書の目次を開くと、内輪ウケ、記号化する笑い(キャラクター)、予定調和としての感動、など気になるワードが散りばめられています。これらを「内輪でしかウケない」「キャラクター化=記号として笑いをわかりやすくしている(そうしないとウケない)」「予定調和として感動が用意されている(予定調和のウケ手としての笑い手の思考停止状態)」と読み替えてしまうのは、あまりにニヒリスティックでしょうか。細かく内容を読み下したわけではないので、各章でそれぞれの笑いをどのように著者が評価しているのか、気になるところです。

終章「笑う社会」では、マンザイブーム以来、日本では笑いの性格が発作的であり、笑の性格を象徴するものとして「浅さ」というキィワードを挙げています。つまらないことも笑いになりうるという感覚、いわゆるスベり芸を暗に指しているのだと思いますが、それらを単に低質化だとみなすことは物事を単純化しすぎているとの指摘もしています。

結局のところ、日本の笑いの質、またそれを媒介にしたコミュニケーションの質、ひいてはそれを許容する日本社会の質が上質なのか、低質なのかは名言されていませんが、(というか、できないでしょうが)、それぐらい笑いは実はとても高度な知的反応であり、ブームにのった笑いを扱っているからといってキワモノ扱いしてしまうのは、とても勿体ないのです。

こちらの本ではテレビに映し出されたお笑いを皆が共有することを前提に書かれていますが、今後は、いや、今現在も笑いを提供する媒体は個々人が好き勝手に選択できるインターネットに軸足を移してきています。笑いの「ウケ手」が変われば笑いそのものも変化していくのでしょうか、または、すでに変化しているのでしょうか。

今後のお笑い論、お笑い分析が出されるのも楽しみです。

今回も良書をたくさんお譲りいただき、ありがとうございました!

 

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