2025/02/14
人文・芸術・デザイン関連の買取【140冊 7,978円】
買取日記ジャンル
今回も買取りさせていただいた書籍のなかから、スタッフいち推しの一冊を紹介させていただきます。
「かわいいピンクの竜になる」(ISBN:9784865283952)
パステルピンクの背景に静かな波打ち際を思わせるドレスを纏った少女。その目は冷ややかにこちらを睥睨し、腕と背中には竜の鱗と力強い羽がのぞいています。
こちらは著書『Lilith』にて第29回歌壇賞を受賞された新進気鋭の作家、川野芽生さんのエッセイ。川野芽生さんは詩人・俳人・小説家として活動する一方、「ロリータファッション」をこよなく愛することでも知られています。
原宿の街や新宿駅などで、ふわふわのドレスに身を包み、日傘を持って優雅に歩く方々を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。東京では原宿を中心にロリータファッション専門店が40店舗ほどあり、国外では中国や韓国をはじめとしたアジアから、遠くヨーロッパでも愛されているそうです。
本書には、才気溢れる歌人 川野芽生さんの半生、そしてロリータファッションとの出会いと、ロリータ文化に対する溢れんばかりの愛情が綴られています。
読む前から「かわいい」本
まず目を惹くのは外観の圧倒的なかわいさ。本書は表紙に留まらず、背表紙から帯に至るまで、かわいくない箇所を探すほうが難しいほどこだわり抜いたデザインが特徴のひとつです。
手にとって開いてみれば、まるで不思議の国に迷い込んでしまったかのよう。なんともメルヘンチックです。こんなにかわいいづくしだと、絶対に汚したくないですよね。ページを開く手も慎重になります。
ところで、皆さんはロリータファッションに対してどのような印象を抱いているでしょうか? 私個人としては、街でロリータファッションに身を包んだ方を見かけると、妖精を見つけたような気分になって、ちょっとほっこりします。
しかし中には「いい歳して少女みたいな恰好なんて……」という意見も。
それも無理からぬこと。ファンタジックな独自の世界観を持つことの多いロリータ服が日本の都市風景に溶け込むことは難しく、必然的に人目を引いてしまいますし、それを意に介さずに颯爽と歩く姿がどこか常識離れしてしまっていることは否定できません。
当然のことですが、ロリータファッションを着ているのは、妖精ではなく、人間です。平日にはスーツで仕事をしている普通の方が、休日にはお姫様に変身して街に繰り出す、ということは全くもって珍しくないそうです。では、ロリータ服をこよなく愛する人々は、どんな思いを胸にロリータを身に纏うのか。そんな「お姫様」から見た世界はどのようなものか。本書では川野芽生さんの瞳に映る世界から、その一端を知ることができます。
「かわいい」と「性」のジレンマ
本書の内容は川野芽生さんの幼少期にはじまり、執筆活動に至る体験から、ロリータファッションとの出会い、そしておすすめのブランドにまで広範に及びます。前言を翻すようですが、ロリータ文化の紹介はあくまで副次的なもの。本書で大きく取り扱われているのは、川野芽生さんの人生におけるひとつの、そして大きな葛藤です。それは、自らの肉体と精神の矛盾でした。すなわち「無性」の精神。
川野芽生さんは自身をアロマンテイック・アセクシュアリティ、つまり「無性」であると語ります。肉体的には女性であり、精神的にも女性らしい可愛いものを好む一方で、男性にも女性にも、他の何ものにも恋愛感情を抱けない。それゆえ大学生時代には「女性」として恋愛対象とされることへの違和感と、そんな自分への後ろめたさを抱えていました。
服には、その人物の属性を端的に表す効果があります。学生服を着ていれば学生、警察官の制服を着ていればお巡りさん、というように、着ている服はその人物の役割や立ち位置を示すものとして機能します。プライベートで選ぶ服の種類によっては、その人柄までうかがえることも。
(当店は基本的にオンラインでの買取りを承っているので、私個人としては制服を着る機会は少ないのですが、先日参加させていただいた「南大沢古本まつり」では、エプロンを着用した瞬間「今から店員さんだ」と少し背筋が伸びたのを覚えています。閑話休題)
それゆえ川野芽生さんは「女の子らしい服」に込められてしまうメッセージと、自身のセクシュアリティの矛盾に苦みます。恋愛対象として認識されないために、かわいい服は諦めるべきかもしれない。髪を切り、ズボンに履き替え、飾り気のないファッションに落ち着くべきなのか、と。
そんなとき胸に蘇ったのが、学生時代のほんの些細な思い出でした。
微笑まないドレス
女性の服は実用性よりもデザイン性が重要視される傾向にあります。歴史を遡れば、フォーマルな場で女性が美しい服を着ることは自己表現であった一方、ヨーロッパのドレスをはじめとした「女性らしい」服装は、否応なく「女性」としての役割を果たしていることを示します。それは日本の着物でも、イスラムのヒジャブでも同じ。
ではヨーロッパのドレスを模したロリータファッションはどうかといえば、むしろその逆であるといいます。
ロリータファッションは、社会的な役割を持った服ではありません。お洋服自体のデザインを愛することのみを目的としています。その精神は自由で、他者の介在する余地のないもの。
それが川野芽生さんの自意識にぴったりと合致します。現実の「女性」ではなくフィクションの「少女」として、ひととき世界に現れるのです。
しかし、その強すぎる自己主張は時に悪目立ちし、理解を得られずに揶揄されてしまう現実があります。初めてロリータファッションに袖を通し、外の世界に足を踏み出すには、かなり勇気が必要であることは想像に難くありません。それは道行く赤の他人に心の全てを曝け出すような、非常に無防備な行為です。
それならもっと普通の格好ではいけないのか、という疑問が浮かびます。フリルもパニエも抑えて、ほんの少しでも社会の理解を得やすいように、少しでも自らを曲げることはできないのか。
ロリータ服はそれをきっぱりと拒絶します。自由な精神、自由な選択の帰結であるロリータ服は、他者に迎合した途端、たちどころにその魔力を失います。
忘れてしまった羽衣
私は男性で、ロリータ服を着たことはありません。仮に女性だったとしても、着ることはないと思います。しかし本書のなかで語られる「美」に対する真摯な愛情と、世間の目に臆さず自己を表現する姿勢に触れたとき、「かっこいい」と純粋な感銘を受けたのを覚えています。それは社会規範を打ち破ろうとするロックミュージシャンの破天荒さや、三島由紀夫のどこまでもきっぱりとした生き様を見た時のような「これが自分だ!」と言い切る強さを目にした時の、羨望の眼差しでした。
自分の気持ちに正直に生きることだけが、正しいはずはありません。他者を気遣い、自分を抑えることも、また強さであることは紛れもない事実です。しかし他者を気遣うあまり、童心をどこかに置き忘れてしまったのではないか、いつか童心をすっかり無くしてしまうのではないかという不安も、多くの人にとって事実なのではないでしょうか。
社会の目を憚らずに自分の正直な気持ちに従うことは、時に恐ろしく、時に不合理です。だからこそ、周囲の視線や社会規範を乗り越え、街中を颯爽と歩く彼女らを見かけた時、私は「ほっこり」したのかもしれません。自分の「好き」にどこまでも真っ直ぐで、堂々とした姿を否定する気にならなかったのは、どこかで自分もそうありたいと願っていたから。
本書はサブカルチャーを主題においたエッセイであり、普段小説を買取の対象としていない当店においては異例の紹介と言えるかもしれません。
しかし、本書を通じて得た新たな視座に立ち、次に街でロリータ服を着ている人を見かけた時、その視線は以前とは異なったものになるのではないかと思います。ほんの少しだけ世界の見え方を変えてくれる、そんな読書体験もまた尊いものだと思い、紹介させていただいた次第です。
最後に、見開きに寄せられた川野芽生さんの詩を紹介させていただき、締めくくりたいと思います。
下表は今回の買取で200円以上の買取額をおつけした本の一覧です。
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(買取額は市場の需要と供給のバランスにより変動するため、現在とは異なる可能性がございます。上記は2024.4.18時点の金額です。)
当店では小説作品を買取対象外としておりますが、DVDやCDは買取させていただいております。買取可能な商品につきましてはこちらからご確認ください。また、買取金額にご不安がありましたら、ぜひお気軽に事前見積もりをご利用ください。
今回もたくさんの本をお売り頂き、誠にありがとうございました。
スタッフR