2025/07/11
社会学書・医学書の買取【146点 29,979円】
今回は社会学や医療に関する書籍を中心に買取いたしました。
今回の買取品は、人間の生の営みの結果生まれる苦しみに注目したもの(哲学や心理学)、苦しみの源泉を社会構造にみるもの(社会学)、またその癒やしにフォーカスするもの(医学)…など様々でしたが、それらにあえて共通項を見出すとしたら、それは「人間が生きるとは」という大きなテーマだったように思えます。 そんな本たちの中から特に気になった一冊を紹介します。
目次
社会が生み出す苦しみとは
それでは、早速書影を
『他者の苦しみへの責任 ソーシャル・サファリングを知る』坂川雅子 訳,池澤夏樹 解説,2011,みすず書房
(著者については後述)
本書は「社会構造が生み出す苦しみ」にスポットを当てた論文集で、原題「Social Suffering」(University of California Press,1997)に掲載された15本の論文から6本を抜粋した抄訳版となります。
「苦しみ」という言葉から、みなさんは何を思い描かれるでしょうか?お金がない経済的な苦しみでしょうか?病気になって経験する身体的な苦しみでしょうか?
本書ではそれらを含め、遠い地の他者の苦しみの報道のあり方に関する考察や、暴力被害に遭う女性の表出されない苦しみ、世界最貧国の1つに暮らす“ありふれた”若者が直面する苦しみ、拷問がもたらす苦しみ…などなど、日本で平穏に暮らす我々には想像することすら難しそうな苦しみの数々が語られています。
それぞれのテーマがあまりに異なるため、本レビューは各論文の大雑把な紹介に留まってしまうと思いますが、お付き合いいただけますと幸いです。 以下、本書掲載順に論文のテーマ(各見出し)・タイトル・著者名・内容を掲載していきます。
※各テーマは本書「目次」より
遠くの苦しみへの接近とメディア
タイトル:「苦しむ人々・衝撃的な映像―現代における苦しみの文化的流用」
著者:アーサー・クラインマン、ジョーン・クラインマン
内容:
私たちは、こうしている今も世界のどこかで戦禍に巻き込まれている人々がいることを、テレビをはじめとする様々なメディアをとおして知っています。
ですが、そうした他者の苦しみが「「娯楽報道番組」の資料として商品化され、世界市場に送り出され、取引され」(p1)、安全地帯にいる我々に消費されているという側面があることを思い出すべきです。さらに、その商品化やグローバル化の過程で「苦しみが文化的表象をとおして作りなおされ、薄められ、歪められてしまう」(p2)ということも。
この論文では、そういった遠隔地の他者の苦しみと、それを伝えるメディアの表象や商品化、そして消費の問題を考察しています。
その題材として、餓死寸前の少女をハゲワシが狙っている場面を撮影した「ハゲワシと少女」が提示されます。(著作権の関係で写真は掲載できませんが、気になる方は検索すればすぐに見つけることができます。)
この写真を撮った報道写真家ケヴィン・カーターへのバッシングとその後の顛末はあまりに有名な話のため、ここで詳細は述べません。「なぜ写真を優先し、目の前の少女を救わなかったのか」という批判はまっとうなようにも感じる一方、その写真があったからこそ見知らぬ他者の苦しみが可視化されたことも事実です。報道(苦しみの可視化)の意義と、それを受け止める我々の責任について考えさせられる論文です。
声なき者の表現を掘り起こす/インド・パキスタン
タイトル:「言語と身体―痛みの表現におけるそれぞれの働き」
著者:ヴィーナ・ダス
内容:
1947年にインドとパキスタンは分離しました。その際、宗教的対立によりパキスタン側ではヒンドゥー教徒やシク教徒が、インド側ではムスリムが、それぞれ難民となりました。それに前後して互いに対する筆舌に尽くしがたい迫害や暴行・略奪行為が横行したのですが、特にその被害者となったのは女性たちでした。
悲惨な経験をしながらも生きていくため、その傷から立ち直るためにしばしば有効なことは、それを「表現すること」です。しかし、彼女たちが被った暴力被害はそういった苦しみ・痛みの表出すらも思いとどまらせるものでした。
本論文では、なぜ彼女たちが自身の苦しみを語れないのかを分析、ナショナリズムや文化的背景が被害者の証言や表現を抑圧する構造を指摘します。
トリアージの必要を問う「極度の」苦しみ
タイトル:「人々の「苦しみ」と構造的暴力―底辺から見えるもの」
著者:ポール・ファーマー
内容:
この論文の筆者はトレーシー・キダー著『国境を越えた医師』(邦訳版は竹迫仁子 訳,2004, 小学館プロダクション)でも紹介され「21世紀のシュヴァイツァー」とも称される人物です。彼は医師として、西半球の最貧国ハイチに診療所を設立した経験から本論文を著しました。
論考では不幸にしてそれぞれ病と暴力のために亡くなった男女2人の若者のケースが紹介されています。どちらも目を覆いたくなるような苦しみの描写に溢れていますが、著者は、恐ろしいことに彼らの人生はハイチではありふれたものであると説明。その背景にあるエイズの蔓延や軍事権力による暴力など、経済的・政治的な社会構造的暴力としての苦しみを告発しています。
また、その苦しみの重さを評価する方法についても触れ、定量的なものだけでは不十分だと指摘、現地の社会状況に根ざした総合的な理解が必要だと主張します。
そして、「極度の苦しみ」に対しては支援の優先順位(トリアージ)の必要性を指摘し、本論を締めくくっています。
医療テクノロジーと人権/日本
タイトル:「「苦しみ」の転換―北米と日本における死の再構築」
著者:マーガレット・ロック
内容:
基本的に、医療は人間の苦しみを軽減させるという目的に向かって発達してきました。それに対する異論はあまりないかと思いますが、「死」の概念をいかに捉えるかという議論をめぐっては、ときに医療は当事者に「苦しみ」を与えるもののようです。
本論文では脳死という「死」と、それに付随する臓器移植をめぐる北米と日本の医療現場が比較されています。功利主義に基づいて「脳死=死」を受け入れた米国と、「脳死」の是非について論争が長引く日本を対置。「日本では生物学的な死は、瞬間の出来事ではなくプロセスとして理解されて」(p134)いると分析し、単なる「死」を生物的なものとして考えるのではなく社会的意味を持つものとして捉えている、と述べます。
このように「死」の概念が社会や文化によっていかに異なるかを中心に検証し、そして、医療テクノロジーの進展が人権や倫理、苦しみの意味に与える影響を考察しています。
移民の苦しみのありか/スリランカ・英国
タイトル:悩める国家、疎外される人々「「苦しみ」の転換
著者:E・ヴァレンタイン・ダニエル
内容:
スリランカには多数派・仏教徒のアーリア系民族シンハラ人と、少数派でヒンドゥー教徒のドラヴィダ系のタミル人がいます。両者の対立により勃発したのがスリランカ内戦(1983~2009)です。
本論文では少数派タミル人、特に彼らのうち渡英した人々を調査。国外に移住した人々・難民の視点から、世代を経るごとに喪失されていくタミル人としてのアイデンティティや英国社会内での疎外感や苦悩が時に抽象的に、時に具体的な語りを通して描かれています。
また、著者は彼らの渡英時期によりそれぞれの世代に特徴があることを見出します。すなわち、
第1世代=エリートたち(1950年代)…カースト上位の人々
第2世代=学生たち(1960年代~1970年代)
第3世代=難民(1980年代~)
です。
専門性の高い教育を受け故国のため立派な人材となることを目的に渡英した第1世代から、母国で多数派のシンハラ人たちに要職や学ぶ場を追われ苦学生となった第2世代、そして、命からがら難民として渡英した第3世代の、それぞれのナショナリズムや彼らが思い描く<国家の歴史>の違いを描写すると共に、各世代間に軋轢があることを指摘しています。
著者自身もスリランカ生まれのタミル人であり、だからこそ得られたであろう生々しい「苦しみ」の描写も多い論文です。
抑圧装置の解体
タイトル:「拷問―非人間的・屈辱的な残虐行為」
著者: タラル・アサド
内容
本論文は「世界人権宣言」の第5条に示されている「残虐性」、すなわち西洋における残虐行為の言説がどのように形成されたのかを「拷問」の切り口から考察するものです。
非人道的な拷問・身体的虐待行為は未開社会に特有なものなのでしょうか?著者は冒頭で拷問の歴史を振り返り、その中でダリウス・レジャーリー『拷問と近代性』を参照、近代国家においても治安維持目的のため拷問は欠かせないものであると述べています。
こういった抑圧装置としての拷問が生み出す苦しみについて社会的・政治的視点から考察しています。
感想:二者択一でない世界の苦しみ
…以上のように、本書に収められた論文はそれぞれがかなり異質であるため、感想といっても本当にざっくりとしたものになってしまうのですが、読後まず私の頭に浮かんだのは
世界は苦しみで溢れている。
という、陳腐にして救いようのない感想でした。
例えば、スリランカのタミル人移民に関する5本目の論文では、「自分たちよりカーストの低い人が多い第3世代が渡英してきた際、英国内でのタミル人評価が低下することを嫌った第1世代は、英国内タミル人コミュニティにおいても母国のカースト制をベースにした社会秩序を遵守する態度をとった」という旨のショッキングな報告がされています。苦しみの中に別の苦しみが生まれているわけです。
異邦人としての苦しみを同胞と共有もできない、このタミル人たちやカースト制度が特殊で、偏狭なのでしょうか?
そうではなく、それほど社会構造の力は強く、近くにいる他者の「苦しみ」への共感性すらも鈍麻させうるのだと、本書を読み終わった読者であれば実感できると思います。そして恐ろしいのは、どんな人でも人間である以上、その社会構造の影響を受け続けているということです。言い方を変えるなら、人間だれしもが他者への苦しみに対して不感症になっている可能性が高いということではないでしょうか。
本書タイトルは『他者の苦しみへの責任』ですが、原題はシンプルに「Social Suffering」で、直訳すると「社会的苦しみ」です。邦訳版でわざわざ「責任」という言葉が用いられたのは、まさに「他者の苦しみに目を向けよ、そして不感症から脱して自分事として考えよ」というメッセージだと、私は受け止めました。
ところで、本書に紹介された事例のどれもがそれぞれに苦しく、その背景がそれぞれに異なっているのならば、その酷さを比べることにはあまり意味がありません。カバー裏表紙にある
という問題提起も、もっともだと思います。
しかし一方で、私たちは「あの人たちが苦しんでいるのは〇〇だから」と何かしらのレッテルを貼って、誰かの苦しみを雑に処理しがちです。
〇〇に入るのは人種だったり、宗教だったり、ジェンダーだったりするのでしょうが、何か1つを当てはめて解決できてしまうほど世界はそんなに単純ではなく複層的であり、その点を見誤ると更なる不幸をもたらすのではないでしょうか?
本書収録の論文のすべてが共通して訴えていることは、ともするとそんな当たり前ことなのではないかとも感じます。
私達は諸々の効率化のために「良いか・悪いか」の二者択一で物事を考えることに慣れています。しかし、この複雑な世界で、少なくとも他者の苦しみを「Yes/No」で切り捨てるようなイケてない人間にはなりたくないものだな、と本を閉じました。
今回の高額買取商品一覧
以下はお送りいただいた書籍の中で1冊500円以上で買い取らせて頂いた書籍リストです。

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(買取額は市場の需要と供給のバランスにより変動するため、現在とは異なる可能性がございます。上記は2025.6.02時点の金額です。)
『野生の思考』は本ブログでも何回も登場しています。50年近く前に出版された本にも関わらず大変人気の書籍で、そのため買取額も安定して高くなる傾向にあります。
このように当店では本の新旧に関わらず必要な本を適正な価格で買取いたします。
ご自宅に眠っている専門書・学術書・少しマニアックだなと思われる本でも、捨てずに当店にぜひご相談ください。
事前におおまかな買取額が知りたいという方には事前見積サービスもご用意(無料!)しておりますので、お気軽にご活用ください。
今回も良書をたくさんお売りいただき、誠にありがとうございました!
スタッフN
※下の画像の書籍は送っていただいた本の一部です。







