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2026/05/29

政治学関連書籍の買取

今回は、政治学関連の書籍をお譲りいただきました。その中から、気になったこちらの1冊をご紹介いたします。

岡野八代 2009『シティズンシップの政治学:国民・国家主義批判』白澤社・現代書館

 

はじめに

  本書は岡野八代によって著されたものであり、近代政治思想において自明視されてきた自立した個人としての市民像を問い直す試みである。従来のシティズンシップ論では、理性的で自律的な主体が公共圏に参与するというモデルが重視されてきた。しかし岡野は、このような主体像がそもそも特定の条件に依存して成立していること、そしてその背後に不可視化された関係性が存在していることを論じている。

 本書の中心的な問題意識は、シティズンシップを単なる権利主体としてではなく、依存とケアの関係の中にある存在として捉え直す点にある。すなわち、政治主体とは孤立した自律的存在ではなく、他者に支えられながら生きる存在であり、その関係性こそが政治の基盤をなしているという視座である。

 

近代的主体の限界と排除の構造

 近代政治思想において、シティズンシップは自由・平等・権利といった概念と密接に結びついて発展してきた。典型的には、公共圏において理性的に討議しうる主体が「市民」として想定され、その主体に対して権利が付与されるという構図である。この枠組みは、ジョン・ロックやジャン=ジャック・ルソー以来の社会契約論にその原型を見ることができる。 

 しかし岡野は、このモデルが前提とするような自律した主体が、実際には特定の人々を周縁化することで成立してきた可能性を指摘する。すなわち、子ども、高齢者、障害を持つ人々、さらにはケア労働を担う人々などは、この主体像の外部に置かれやすかった。ここで問題となるのは、周縁化されているのが単に特定の集団であるということではなく、依存することそのものが否定的に理解されやすい構造にある、という点である。

 この自己責任論においては、他者に依存せずに自己を維持できる存在のみが「完全な市民」として認識されやすい。他方で、依存関係のなかにある人々は、政治的主体として十分に扱われにくくなる。岡野はこの点に、近代的シティズンシップの構造的な限界を見出す。

 

シティズンシップと国民国家の結節点

 シティズンシップは歴史的に国民国家の形成と不可分に結びついてきた概念でもある。「市民(シティズン)」であることは、単なる権利主体であることではなく、特定の国家への帰属、すなわち「国民(ネイション)」であることを意味してきた。このとき、「国民」とは法的には国籍保有者として規定される一方で、文化的・歴史的には想像された共同体としての「民族(エスニシティ)」と重ね合わされる。

 岡野は、このような枠組みが政治的統合を可能にする一方で、同時に排除の契機を内包している点を論じている。すなわち、国境によって内外が区分され、外国人は完全な市民としては扱われにくい。また「国民」という枠組みのなかで、多様な個人の差異はしばしば均質化され、「日本人」といった総体的カテゴリーのなかへ回収される傾向を持つ。さらに本書では、近代国家が国民統合を進める過程において、国家への忠誠や献身が求められてきた歴史的側面にも触れられている。

 また、東西冷戦の終結とグローバル化によって、旧来の国家の枠組みを超えた多様な性別・年齢・人種・文化的背景を持つ人々の移動や共存が進展した。しかし、近代的な法の下の平等は、形式的平等を掲げながらも、その内部に存在する差異を十分にとらえきれない場合がある。こうしたことから、シティズンシップとは、包摂と排除の両義性を抱えた概念として検討されている。

 

古典的シティズンシップにおける周縁化の論理

 このような構造は古代の時代から存在した。古代ギリシアのポリスにおけるシティズンシップは、成人男性に限定された資格であり、政治参加は徳の実践として理解されていた。しかしその裏面には、女性・奴隷・外国人といった人々が政治共同体の外部に置かれていた。

 またローマにおいては、市民権の拡張が行われたものの、それは帝国統治を安定化するための技術として機能していた側面があると岡野は整理する。

 このように、シティズンシップは歴史的に見ても、常に包摂と排除の二重性を孕んだ概念として本書では位置づけられている。

 

近代的シティズンシップの両義性

 近代において、シティズンシップは「自由」と「平等」という理念のもとで再構成される。人間は自然状態において平等であり、その権利を保障するために国家が存在するという枠組みが提示される。

 しかし本書では、ここには根本的な緊張が存在すると論じられている。一方では個人の自立性が強調されるが、他方では国家は統一的な「国民」を形成するための装置として機能する。その結果、シティズンシップは自律的な個人と統合された国民という二つの原理の間で揺れ動くことになる。本書では、TH・マーシャルの概念を参照して、この対立的な原理を解き明かす。

 マーシャルはシティズンシップを、「市民的権利」、「政治的権利」、「社会的権利」という三段階の発展として捉えた。それぞれ18世紀、19世紀、20世紀のシティズンシップに対応する。この枠組みにおいて重要なのは、「社会的権利」の導入によって、形式的平等を実質化しようとした点である。すなわち、教育や福祉といった制度は、単なる補助ではなく、「市民」としての生活を可能にする基盤として位置づけられる。しかし同時に、この理論は国民国家の内部における統合を前提としており、その外部にいる人々や内部の差異を十分に捉えることができない可能性が指摘されている。

 

ジョン・ロールズとリベラル・シティズンシップ

 現代リベラリズムにおけるシティズンシップの理論的基盤として、ジョン・ロールズの正義論は重要である。ロールズは、多様な価値観を持つ個人が共存する社会において、いかにして公正な社会秩序を構想しうるかという問いに応答しようとした。

 その中心に置かれるのが、「原初状態」と「無知のヴェール」である。人々は、自らの社会的地位や能力、性別、文化的背景などを知らない状態に置かれたうえで、社会の基本構造を規定する原理を選択する。この状況において合理的な主体は、自らが最も不利な立場に置かれる可能性を考慮し、社会的・経済的格差を最小化する原理を選択することになる。これがいわゆる「格差原理」である。

 本書では、この理論の意義は偶然的な条件となる生まれや環境によって生じる不平等を是正するための規範的基準を提示した点が挙げられている。また、権利の分配を単なる結果の平等ではなく、公正な手続きの問題として捉え直した点も重要視される。

 

リベラリズムのパラドクスとシヴィック・リパブリカニズム

 リベラリズムは、個人の自由と権利の保障を政治の中心課題とする思想である。この枠組みにおいて国家は、個人の権利を保護するための制度的装置として位置づけられ、政治参加は必ずしも積極的に要求されない。むしろ、個人が私的領域において自己の人生を追求できることこそが重視される。

 しかし岡野が指摘するのは、この構図が内在的なパラドクスを孕んでいるという点である。すなわち、国家による権利保障が強化されるほど、「市民」は政治的意思決定から距離を置くようになり、結果として政治的無関心が進行する。言い換えれば、自由を守るための制度が、「市民」の主体的な自由の実践を弱体化させるという逆説が生じるのだという。

 この問題に対する応答として提示されるのが、シヴィック・リパブリカニズムである。この立場は、自由を単なる干渉の不在としてではなく、自己統治への参与として理解する。すなわち、「市民」が公共の意思形成に関与し、自らの社会を共に形づくることこそが自由の実質であるとされる。

 ここで参照されるのが、オールドフィールドの議論である。オールドフィールドは、自由で責任ある主体を育成するためには、むしろ公共的義務や政治参加が不可欠であると論じる。これは、リベラリズムが前提とする既に自律的な主体とは異なり、参与を通じて形成される主体という理解に基づいている。

 しかしながら、このリパブリカン的立場もまた、何かしら能力を欠ける者たちと供給者の関係性が想定されうるため、そこにパターナリスティックな傾向を帯びざるを得ないため、本書では批判的に検討される。

 このように、リベラリズムとリパブリカニズムは、一方が個人の自由を強調することで政治的無力化を招き、他方が政治参加を強調することで父権主義的圧力を生むという、相補的な限界を持つ。岡野の議論は、この二項対立を乗り越えるために、主体そのものの依存やケアを含み込んだ関係性のなかでの主体の構想へと向かっていく。

 

差異の承認と自己の尊厳

 こうした問題に対して、多文化主義は重要な修正を加える立場として紹介される。この立場では、個人は常に文化的共同体の中で形成されるため、抽象的な個人の権利だけでは不十分であり、集団に応じた権利の保障が必要であると主張する。ただし岡野は、個人の地位を優先するリベラリストに対する批判としてではあるが、これは決して、個人の優位より集団の優位を優先する立場ではないと述べる。あくまでも、多文化主義はリベラリストのテクストの内部から、同化や文化帝国主義に抗する立場であり、その上でリベラリズムの普遍原理といった問題に取り組む。

 ここで提示されるのは、政治的共同体と文化的共同体の二分法である。政治は諸個人がリベラルな正義の枠組みによって与えられる権利と責任を行使する領域である。一方で文化とは、その中で諸個人が、彼らの目的や願望を形成し、修正していく文脈を与える領域として理解される。そして本書では、この二つの領域において、公私の境界は必ずしも峻別されるべきものではないと論じられる。

 したがって、そこで採用すべき公教育の原則は、各個人の文化的背景を貶めることを戒めつつ、自尊心と他者の尊厳性を学び、かつ自らが属する文化のなかから何が自分にとって価値があり、何がそうでないのかを吟味しうる批判力を養いつつ、さらには各人の善の修正可能性と選択能力を育むことなのである。(本書:140-141

 

 さらに議論は、アイデンティティの問題へと展開する。チャールズ・テイラーやマイケル・サンデルは、個人が所属する共同体を切り離して自己の尊厳は成立しないと主張する。ここでは、単なる選択の自由ではなく、「何を選ぶか」という価値内容そのものが問われる。

 リベラリズムは、選択の自由を重視するあまり、その内容を相対化してしまう傾向があると岡野は論じる。その結果、どのような価値であれ、それが選ばれたものであるという理由だけで尊重されるべきだという立場に傾く可能性がある。しかし岡野は、この態度が社会的に抑圧された状況を見えにくくし、結果として既存の不平等を温存・強化してしまう危険性を持つことを指摘している。

 

フェミニズムとシティズンシップの再編

 本書の重要な到達点の一つが、フェミニズムの視点からの従来のシティズンシップ批判である。近代社会において、公的領域は男性に、私的領域は女性に結び付けられてきた。この分離は、女性を政治から排除する装置として機能してきたと岡野は整理する。

 フェミニズムは、この公私二元論を批判し、家庭内の関係やケア労働もまた政治的な問題であることを明らかにする。本書で挙げられている例を紹介するならば、ナンシー・チョドロウは家族構造の再生産に注目する。すなわち、女性が母親業を担うのは、進化論による機能主義的な側面だけでなく、特定の社会体制による再生産にあることを主張した。

 また、アイリス・マリオン・ヤングは「差異の政治」を提唱することで、均質的な市民像を問い直す。ここで重要なのは、同じであることによる平等ではなく、異なるままでの平等が想定されている点である。この考え方において、従来のリベラル・シティズンシップが私的領域の問題として不可視化してきた、私的な事柄としての人間の多様な生の側面に公的な光を当て、多くのマイノリティの声を拾い上げることを政治の課題とする。

 

ケアの倫理とシティズンシップの再考

 最終的に岡野は、シティズンシップの再構成をケアの視点から試みる。キャロル・ギリガンの「ケアの倫理」において強調されるのは、他者を傷つけないこと、関係の中で応答し続けることである。

 

 この視点は、従来のリベラリズムが前提としてきた自律的主体像を根底から揺るがす。すなわち、人間はそもそも他者に依存し、傷つきやすい存在であるという前提に立つとき、政治とは権利の配分ではなく、関係の維持と応答の実践として再定義される。岡野はそのうえで、現代社会においてケア関係をシティズンシップ論の重要な契機として捉える必要性を論じている。最後に、本書から印象的な一節を引用したい。

わたしたちは現在、ロールズ流の義務論的なリベラリズムが前提とするように、もはや誰かの好意や善意にあてにできない「リベラルな」社会に生きている。だからこそ、ひととしての人格・尊厳が育まれるのに不可欠なケア関係を、シティズンシップ論の重要なモメントとして論じることが、現在の政治理論において緊急のテーマとして浮上しているのではないだろうか。(本書:P273

おわりに

 本書は、近代的シティズンシップの理論を多角的に検討し、その限界を明らかにしたうえで、新たな政治主体の可能性を提示する著作である。そこでは、自律的個人という近代的な神話が解体され、依存とケアを基盤とする関係的な主体が浮かび上がる。

 この転換は、単なる理論的修正に留まらず、それは、誰が市民であるのか、どのように共に生きるのかという根本的な問いを、あらためて私たちに突きつけるものでもある。政治学や思想、フェミニズム研究に関心のある方にとって、シティズンシップ論の広がりに触れられる一冊です。

 

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